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個別記事の管理2014-02-21 (Fri)
(^_^)(^_^)

(^_^)(^_^)

さて、唐突ですが、

以前大切なデータを失ったと言いました。

なんだと思います?(笑)

去年インドで撮った約3000枚の写真データです。悲

バックアップ取ってたはずなんですけどね~

カメラのカード、USB、、どこを探してもない

悲しすぎます。以下はたまたま携帯に残っていたインドの私の記憶です。感傷に浸りながら少し思い出を綴ります…以下は全てウダイプルのシティーパレスという場所の写真です。ここを回った時だけなぜか気まぐれで自分のスマホのカメラを使ったんですよね、だからデータが残っていて…

しかし正直言うとあんまりシティーパレスの記憶が残っていないんですw

その時貧血気味でウダイプルの灼熱の太陽の下を朦朧とした意識でふらついていたという方が正しいです(⌒-⌒; )




このお城はヒンドゥー教の影響が色濃く残っています。
かつてはここにラージプート(地方豪族)が住んでいました。

とにかく派手です。内装も外装も…

わびさび、を好む日本人にしてみたらそわそわしてしまうくらい豪華絢爛です。ソワソワしちゃって住めなさそう…

観光しているだけなのに居心地がよくありませんでした(貧血だったというのもある)。



上はこの城に住んでいた女性たちの手形だそうです。城がイスラム教徒によって侵略されたときに彼女たちは自分達の王に忠誠を誓って炎の中に身を投げました(Joharといいます)。
生きてイスラム教徒に仕えるよりも、ヒンドゥー教徒として誇りを胸に貫いたのですね。
サティを連想させる、心を打つ壮絶な歴史を刻んだ手形です。



本殿っていうのでしょうか、メインの建物にたどり着くまでに15分ほど坂を上ります。
熱かったしフラフラでした。なので途中で太鼓叩きながらケラケラ笑ってるインド人の行商人に対して不覚にもイラついてしまいましたすいませーんw



人体模型笑。これだからインドは面白い。このおじさんの意味笑。ずっとこの写真のポーズで固まってるんです笑。いつまでじっとしてられるかな~と思って20分後にまた確認したらなんと、煙草を吸ってらっしゃいました(^o^;)はや。



これらはシティーパレス内の展示です。いつ描かれたものとかいう情報は残念ながら未確認ですけど本当に美しいですね。陶酔したような目付きにスッとした鼻筋とふっくらとした肉付きのよい均質のとれた体つき、、、うっとり。

上の写真はホーリー祭を描写したものでしょう。春先に無礼講で身分の差なく色粉色水を投げ合う、ハチャメチャ祭です。いつ頃から行われているのでしょう…





シティーパレスは建物の中にさらに建物があってまるで迷路。外に出たと思ったら中庭で、中庭だと思ったらバルコニーだったり…
それでも高い窓から見渡すジョードプルの街並みにうっとり。
砂埃と眩しい太陽に、カラフルな屋根と時々行き交うリクシャーと人びと。人びとの営みは今も昔根本的には変わっていないんだろうな…



ステンドグラスもまたすごいすごい派手です。太陽の光りが差し込んでまるでクラブハウス…



一方ここはシーシュマハル(鏡の間)一面が鏡となっていて、わずかなライトで部屋一体が照らし出されます。
部屋に一歩踏み入れると自分が映りまくっていて恥ずかしくてすぐに出てきてしまいました。
私はここでは絶対に落ち着けない…( ̄▽ ̄;)



内部装飾も意匠を凝らしてます。ざ、インド。






ああ携帯の中のわずかな写真でももうこんなに鮮明に去年の様子を思い出すことができる、、今更ながら失ったデータが悔やまれてなりません。ウジウジ

でも、いくら嘆いたってきえたものは戻ってこないんです!

もっといい写真をこれから撮ってこいという神様のお告げなんだと思います泣く!

こんくらいでへこたれるなってことでしょうかね!?o(^o^)oo(^o^)o

今日は久々にTOEIC試験で英語の勉強ヤル気チャージしてきましたし、図書館でインド古典舞踊の本を借りることができましたし、IELTSの参考書も買えましたし、アメリカ行きのガイドブック(二冊目)も揃えましたし、今バイトも終わりましたし、生産的なことはなーんにもしていませんがリフレッシュできました。

もう少し実は書きたいことがあったりするのですがそれは自分の日記にこっそり記しますねふふ、おやすみなさい




<今日のヒンディー語>
सुलेख  m 書道、書法

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個別記事の管理2013-09-15 (Sun)
9月8日から14日にかけて、広島・鹿児島・福岡を女二人旅してきました。
今回の旅のテーマは「日本を知る・食す・感じる」!

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高速バスを4本乗り継ぎ、合計乗車時間は36時間!!(首は直角によじれる)

温泉には5回つかり(サウナでは5分も耐えられず叫んで外に飛び出す)、
広島城・原爆ドーム・知覧特攻平和会館・大宰府を見学し、

宮島では登山をし(相方はまさかのクロックスで登頂)、
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鹿児島では眼科に駆け込み(相方、変顔しすぎてコンタクトレンズ遭難)、

郷土料理をたらふく頂きました(初日で牡蠣にやられる)。
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日本は小さな国と言われますが、移動するたびに町の風情、ことば、天候、建物の造り、車窓から見える景色が目に見えて変化していき、日本でさえも均質では成り得ないんだなと感じました。~は~だ、というような一義的な解釈ができるものはこの世にはないのかな。。。

広島の平和祈念資料館、鹿児島の知覧特攻平和会館を見学していやでも感じずにはいられなかったのが、戦前の日本と戦後の日本の根本的な思想の変化です。
「愛国心」、「大和魂」、「御国のために、、、」そのような言葉は今の日本からは随分遠くにあるように思われます。それが良いとか悪いとかいう意味ではなく、私はこれまで受け継がれてきたそのような日本の象徴的な精神が徐々に薄れゆくことがどうにも悲しいなあと思います。
そして自分自身も戦前の日本人がどのような心情で国のために奉仕していたのかがわからない、知ろうとしないままに閑暇な日常に埋没してきたことが悔やまれました。
「日本を知る」というのは、日本人である故に当たり前すぎてこんなにも難しい。


知覧特攻平和会館では若き特攻員の知覧飛行場からの出征間際のエピソードが数多く残されています。その中の一つで、特に私の心を強く打ったものを紹介します。

――――――――――
阿部正也少尉は昭和20年4月29日、沖縄本島に向け特攻隊員として知覧飛行場から出征しましたが、飛行機のエンジントラブルに見舞われ、本土から南西60キロに位置する黒島に大きなけがを負うことなく奇跡的に不時着に成功しました。
黒島にはもう一人、阿部少尉よりも先に出撃した柴田信也少尉が、全身に大やけどを負って島民の治療を受けていました。しかし、本土から遠く離れた小さな島には満足な医療用品もなく、柴田少尉は生死の境を彷徨っていました。そんな柴田少尉の様子を見た阿部少尉は、救えるかもしれない命をみすみす見逃すわけにはいかないと、黒島から本土への帰還を訴えました。ですがエンジンの付いた船は軍に徴用され、残っているのは手漕ぎ船だけ、しかも直線距離60キロとはいえ黒島から鹿児島までには黒潮の急流が流れ、渡航は非常に困難であると村人は反対しました。
そんな村人の中から、安永克己という阿部少尉と同じ21歳の青年が、阿部少尉のために舟を漕ぐと申し入れました。安永克己と阿部少尉は翌日、本土に向け出発しました。安永克己は午前11時から翌日の午後7時までの30時間を休むことなく舟を漕ぎ続けました。阿部少尉も自分のために舟を漕ぎ続けている青年のために、知りうる限りの軍歌を歌い続けました。そして、奇跡的に阿部少尉は再び本土の地に戻ることができたのです。

5月4日の朝、黒島の上空を特攻機が1機、高度を下げ、その上空を旋回し始めました。島民がなんだなんだとその様子を眺めていると、その特攻機から大きな袋が投げ出され、荷物が無事着地したことを認めると飛行機は大空に羽ばたいていきました。


その袋の中には火傷の薬がたくさん詰められていました。重度のやけどを負っていた柴田少将はその薬で見事回復を遂げました。



阿部少尉はその日、沖縄の会場に出撃し、散華しました。
――――――――――

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戦前の日本人の精神とは何かを考えるにあたり、このエピソードは私に大きなヒントを与えてくれました。見返りを求めない命を賭した無償の奉仕。
もっと自分の国への理解を深めて、もっともっと自分の国に誇りを持てるように、そして国のために散っていった若い人々が命を懸けても守り抜こうとした日本を次は自分たちが担っていくのだと、強く自覚しました。



さて、今日から再開!
<今日のヒンディー語>
तिजोरी f 金庫
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個別記事の管理2013-09-11 (Wed)
本日は鹿児島からこんばんは。

鹿児島の小さな町、知覧に滞在しています。
知覧はかつて太平戦争中に特攻隊の最前基地となった場所で有名です。
そして、武家屋敷の残る由緒正しき古きよき日本も垣間見えます。

特攻記念館では出撃前の若い搭乗員たちの最期の言葉が大量に保存されています。
美しい行書体、力強さ、時折若さをうかがわせるひたむきな言葉たち…
そして凛々しい彼らの写真。
とても自分と同年代の少年たちの言葉であるとは信じられませんでした。

記念館では特攻隊に関する書籍を数冊買い込みました(荷物…)。

まだ流し読みしかしていないのですが、旧特攻員のインタビューのページに

"私たちをかわいそうだとは思わないでほしい。今から見れば想像が難しいこともたくさんあるが、それは今が平和だからだ。平和という時代背景にあるからだ。当時と今では時代背景が異なる。一重にあの時代に生きた人は不幸だったとまとめないでほしい。今の若者も、戦争という時代背景に生きていれば私たちがそうだったように国のために命を捧げるていただろう。"

"今の若者に求めることは、国を愛すること、日本という国に生まれたことを誇りにすること、日本人としての尊厳を忘れないでほしい。戦後、日本は日本人としての尊厳を持つということ骨抜きにされてしまった。それが残念でならない。"

以上の内容であったと私は記憶しています。
確かに私のまわりも(そして私自身も)西欧に憧憬を抱き、西欧の価値観に大きな影響を受けています。
日本に残る日本らしさ、も海外を意識した商業的意図が見え隠れする作りものっぽさを感じます。

私は、戦前の日本を知りません。そして大和魂とはどういうものなのか、男児の本懐とは、女子のあるべき姿とはなにか、そういった古来日本が長い歴史をかけて培ってきた文化は、戦後を境に、日本が近代化(西欧化)するとともに失われかけつつあると感じます。
さらに、戦前を知る人は本当に数少なくなっています。大変な危機感を覚えます。

かつての日本と現代日本、時の流れを止めることはできませんし、変わっていくこと自体を止めようとは思いませんが、伝統的な考え方が失われつつあるということをどれだけの日本人が意識しているでしょうか。

私は将来外国で勉強し、仕事に就きたいと考えています。その時、日本人として振る舞える素敵な日本人になりたいです。



しんみりしてしまいましたね。さて、このあとは福岡です!
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個別記事の管理2013-09-09 (Mon)
こんにちは~from広島!

実は今日から約1週間、女子旅をしております。今はその道中広島です。

日常の生活から離れ、旅の中に身をおくことで気づくことってあると思うんですね。いつもついつい理屈っぽく動機や理由を探してしまうようなひねくれた心も旅程の中ではもっとまっすぐに、物事のあるがままを受け入れられるというか…

なのでしばらくはインド留学に関して頭を悩ますのは一旦停止して、素のまま旅行を楽しもうと思います。

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